コラム

「スマホを持たせるのが、少し怖い」
――小さな娘を持つ親の私が、SNSの「言葉の刃」と向き合って気づいたこと

2026年06月26日

対象:教育関係者向け
教材:闇バイト防止教育教材


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SNSのコミュニケーションに憧れをいただく子供と使わせるべきかと悩む親の画像

子どもにスマートフォンを持たせる年齢が下がるなか、SNSでの言葉のすれ違いや思いがけないトラブルは、家庭でも学校でも尽きない悩みの種になっています。画面の向こうの見えない世界に対して、大人はどう向き合い、どう子どもたちを導けばよいのでしょうか。

今回は、情報モラル教材の開発に関わってきた担当者が、自身も一人の親であるという等身大の目線から、子どもたちの「想像力」を育むアプローチについて考えます。

家庭での接し方のヒントとしてはもちろん、先生方にとっても、保護者と一緒に子どもたちを見守るための「共通の道標」として参考にしていただければ幸いです。

01
画面の向こう側が見えない。親の不安は尽きません
02
 一瞬で被害者にも加害者にもなる、ネットの「逃げ場のない構図」
03
「うのみにしない」の本当の意味と、怖がらせない教育
04
特効薬はない。SNSとの付き合い方は「ダイエット」に似ている
05
子どもの成長段階に合わせて。親子の対話の種をまく「授業」の視点
06
おわりに:完璧な正解はなくていい。共に想像し合う関係に

01. 画面の向こう側が見えない。親の不安は尽きません

 

「周りの友達がみんな持ち始めたし、うちもそろそろ……」

そう思って子どもにスマートフォンを持たせることを検討し始めたり、実際に買い与えたりしたものの、親の悩みはそこからが本番ですよね。

一度持たせたら最後、大人の目が届かない画面の向こう側で、子どもたちがどんな言葉を交わし、どんな世界に触れているのか。SNSで仲間外れにされて涙を流していないか、あるいは逆に、無自覚に誰かを傷つけていないか。見えないからこそ、漠然とした不安を抱えている親御さんはとても多いのではないでしょうか。

だからこそ、心配のあまり「ネットで悪口を言っちゃダメだよ」「知らない人と繋がっちゃダメだよ」と、つい口うるさく注意してしまう。画面を見つめながら生返事をする我が子や生徒の背中を見て、「本当に伝わっているのかな」と虚しさや焦りを覚えることもあると思います。

実は私自身も、まだ小さな娘を持つ一人の親です。娘はまだ自分のスマホを持つ年頃ではありませんが、今後のことを想像すると、皆さんと同じように不安や心配で胸がいっぱいになります。

ただ、私はたまたま仕事を通じて、子どもたちの情報モラル教育や教材開発に関わる機会がありました。そこで多くの専門家の先生方や学校現場のリアルな声に触れる中で、「ああ、親として、また子どもに関わる大人の一人として、どう向き合えばいいのか」という、いくつかの大切なヒントを教えてもらった気がしています。

今日は、一人の親としての等身大の戸惑いを抱えながら、その「気づき」を皆さんと共有できればと思っています。

02. 一瞬で被害者にも加害者にもなる、ネットの「逃げ場のない構図」

ネットのやり取りでは、被害者にも加害者にもなるえることを示すため、スマホの画面を2分割して表現

ネット上の悪口やいじめ、誹謗中傷が深刻だなんてお話は、今や誰にとっても「釈迦に説法」かもしれません。毎日これだけニュースになり、学校でも家庭でも話題にのぼるのですから、「何をいまさら」と思われるのが当然だと思います。

ただ、ここで改めて見つめ直したいのは、この課題そのものはネットやSNSが今のように当たり前の道具になる前から、学校や社会に「ずーっと昔からあった問題」だということです。ネットが新しく生み出した悪意ではありません。

しかし、ネットやSNSという器に移ったことで、誰もが突然傷つけられる「被害者」になり得ると同時に、誰もが気づかぬうちに刃を握る「加害者」にもなり得るという、恐ろしい地続きの環境が生まれてしまいました。

たとえば、クラスの数人の仲良しグループや部活のLINEの中で、ほんの少しの言葉のすれ違いから「あれ、怒らせちゃったかな?」「みんな自分の悪口を言っているんじゃ……」と、夜も眠れなくなるほどの逃げ場のない不安に子どもが陥ってしまうこと。身近な場所だからこそ、その傷つきは深く、切実です。

一方で、世界中のだれもが見られる開かれた場所に出れば、顔も見えない匿名の発信者たちから、現実の世界では集まりようがないほどの大勢の人が一瞬にして集まり、よってたかって一人の人間を否定してしまう恐怖もあります。

この後者の現象は、昔からある「テレビのワイドショー」のバッシングによく似ています。著名人の切り取られた情報だけを見て、背景もよく分からないまま、世間が一斉にバッシングをする。あの現象が、今や子どもたちの身近なスマホの画面の中でも、日常的に起こるようになってしまったのです。

そして、私が何よりハッとさせられたのは、「我が子を奈落の底に突き落とすかもしれないその大群衆の正体は、必ずしも最初から悪意に満ちた悪人ではない」という事実でした。

むしろ、「ちょっと懲らしめてやろう」という軽い正義感や、「自分は正しいことを言っている(よかれと思って)」という思い込みから、安易に強い言葉を投げつけてしまうケースが非常に多いのです。普通の優しい子どもが、ネット特有の「空気」に飲み込まれ、ある日突然、無自覚に誰かを追い詰める側になってしまう。

傷つける側と、傷つけられる側。その境界線が信じられないほど曖昧で、誰もがどちらにもなり得る。これこそが、いまのネット社会の本当の怖さなのだと感じています。

03. 「うのみにしない」の本当の意味と、怖がらせない教育

「ネットやSNSに書いてあることをうのみにしちゃいけないよ」。

お子さんにそう伝えたことがある親御さんや、どこかでそんな言葉を耳にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。この言葉の本当の意味は、単に「ウソの情報に気をつけよう」ということではないのだと思います。

自分がそうするかどうかは別として、「ネットという特別な場所では、悪気のない安易な気持ちや軽い正義感から、恐ろしい言葉を書き込んでしまう人が実際にたくさんいる。その歪んだ現実を、ありのままに受け止めること」なのではないでしょうか。

画面の向こうにあるトゲのある言葉を、「自分に向けられた正論だ」と真正面から真に受けない。「これは、ネットの仕組みの中で安易に生み出された言葉なんだ」と、子ども自身が冷静に理解できるようになること。それが、被害に遭ったときに我が子の身を守る盾になり、自分が加害者にならないためのブレーキになります。

この話をするとき、親や先生からはよく「もっと実際に起きたショッキングな事件を子どもに見せて、怖がらせてでもやめさせたい」という声があがります。そのお気持ちは痛いほど分かりますが、あまりに深刻すぎる事件は、子どもたちにとって「自分とは違う世界の、ものすごく悪い人たちの特別な話」という他人事になりがちです。

怖がらせて思考を止めるのではない、日常のごく普通の場面で「もし自分だったら」「もし相手だったら」と想像できる力を育むこと。遠回りに見えて、実はそうしたことの積み重ねが、トラブルを防ぐための大切なお守りになっていくのだと思います。

04. 特効薬はない。SNSとの付き合い方は「ダイエット」に似ている

スマホの画面を見ている生徒を保護者が見守る図。スマホの画面からは、吹き出しでいろいろなコメントが飛び交っている様子が窺える画像

親としては、つい「このルールさえ守らせれば絶対に安心」「この恐ろしい事件を見せれば、一発で悪口をやめるはず」というような、すぐに効く「特効薬」や「万能薬」を求めがちですよね。

でも、複雑なネットの世界にそんな魔法の薬はありません。SNSとの上手な付き合い方は、実は「ダイエット」にとてもよく似ているのだと思います。

「これを飲むだけで明日から痩せる」という薬がないのと同じで、一度きつく叱ったり、怖い話を一つ聞かせたりしただけで、すべてのトラブルを防げるわけではありません。本当に必要なのは日々の地道な「予防策」であり、それを無意識にできるようになるまで、習慣として身につけるための「トレーニング」です。

そのトレーニングこそが、「想像力」を働かせることなのだと思います。

もちろん、想像力は何も無いところから突然湧いてくるものではありません。想像を膨らませるためには、確かな「材料」が必要です。その材料とは、自分たちの日常でも起こり得る「身近な出来事」であり、時には「ここから先は名誉毀損や侮辱罪になるかもしれない」という正しいルールや法律の知識です。

ルールや法律を教えるのは、決して子どもを脅して縛り付けるためではありません。正しい知識という土台(材料)があるからこそ、子どもたちは「もし自分がこれを書き込んだら、相手が傷つくだけでなく、社会的な責任を問われるかもしれない」と、先の展開をよりリアルに、具体的に思い描けるようになるのです。

そして、この「頭で分かっている」知識を本当の意味で「自分ごと」に変えるためには、親や先生の話をただ黙って聞くのではなく、自分の口で意見を交わし、友達の考えを聞いてハッとするような体験がとても効果的です。「自分の予想や感じ方は、みんなと全然違うんだ!」と肌で知ることで、初めて生きた「気づき」が生まれます。

05. 子どもの成長段階に合わせて。親子の対話の種をまく「授業」の視点

生徒が学校で受けた情報モラル授業を家庭でも話し合うことを示す画像

私たちが関わっている「LINEヤフー みらいプロジェクト」では、こうした「想像力」や「言葉の感じ方の違い」を子どもたち自身が体験しながら学べる情報モラル教材を、専門家の先生方と共同で開発してきました。

これらは学校の授業ですぐに使えるよう作られたものですが、単に学校内だけで完結させるのではなく、学校での学びがそのまま「家庭での会話のきっかけ」になるような工夫を凝らしています。

たとえば、スマホをまだ持っていない、あるいは持ち始めたばかりの小学校中学年くらいのお子さんを対象としたワーク。ここでは、「まじめだね」「マイペースだね」という一見普通の言葉が、クラスの友達によって「言われて嬉しい言葉」にも「嫌な言葉」にもなり得ることを体験します。授業でこれを体験した子どもたちが、家に帰ってきて「ねえお母さん、マイペースって言われたら嫌?」なんて聞いてくる。そんな、家庭での温かい対話の種をまくことができます。

もう少し大きくなって、友達同士のメッセージのやりとりが活発になる小学校高学年くらいであれば、画面上の短いトークを読みながら、この先会話が「晴れ(楽しい)」になるか「雷(ケンカ)」になるかをみんなで予想するワーク。文字だけでは感情が伝わりにくく、顔が見えないからこそ「こうなるだろう」という先読みがどれほど難しいかを、友達同士の意見の違いから実感できます。

さらに行動範囲が広がり、中学生や高校生になれば、発信する場所(身内だけか、誰でも見られる場所か)による危険度の違いや、言葉をエスカレートさせてしまう「周囲で見ている人(傍観者)」の存在がトラブルをどう大きくさせるかを考える、一歩踏み込んだ実践的な内容も扱っています。

いきなり家庭で「SNSについて話し合おう」と身構えるのは難しいかもしれません。だからこそ、学校の授業という場で子どもたちの心を一度やわらかく揺さぶり、そこで生まれた気づきをお土産として家に持ち帰ってもらう。そんな、学校と家庭が手を取り合えるようなアプローチを大切にしています。

おわりに:完璧な正解はなくていい。共に想像し合う関係に

最初にお話しした通り、私自身も我が子のこれからのスマホ利用に対して、尽きない不安を抱える一人の親です。

だからこそ、大人が子どもに対して「完璧な正解」を用意して上から導こうとする必要はないのだ、と強く感じています。私たちが知らない新しいアプリや流行は、これからもどんどん生まれてきますし、すべてを大人がコントロールすることは不可能です。

ただ「悪口はダメ」と禁止するのではなく、「この言葉、他の人が見たらどう感じるかな?」「もしこれが1000人に広まったらどうなると思う?」と、子どもと同じ目線で問いかけ、家庭や学校で共に想像を重ねていく姿勢こそが求められているのではないでしょうか。

ネット社会という広大な海に漕ぎ出す子どもたちを、大人がずっと見張っていることはできません。でも、彼らが言葉の刃に傷ついたり、無自覚に誰かを傷つけてしまったりしないように、想像力という「羅針盤」を一緒に育てることはできるはずです。

私たちがお届けしている教材が、そんな日々の対話の、ほんの小さなきっかけになればと願っています。子どもたちが安全に歩いていけるよう、これからも同じ大人として、皆さんと一緒に考え、想像し続けていけたらと思っています。

ご参考:家庭や学校でも読める無償教材のご案内

コラム内で触れた教材は、以下のサポートページからどなたでも無償でダウンロードいただけます。授業の指導案や手引きも揃っており、大人が読むだけでも「我が子との会話に使える視点」がたくさん見つかる内容ですので、ぜひ一度開いてみてください。

文:LINEヤフー みらいプロジェクト事務局